吹く、吸う、なのに 何故フクタをスイタと言うのでしょう?大阪府吹

大阪府吹田市のホームページを見ていたら、物凄い沢山の情報が詰めてあり、読むのに相当時間がかかります。なぜ吹田フキタと書いて有るのに、吹田スイタと言うのでしょう。ページには、元は水田か、その地に昔、吹田氏という、ちからのある一族が居たとか、いろいろ説明が出て来ます。市内の交通網は便利に発達してるのに、電車は急行が止まらず普通電車しか止まらぬとか、公共機関、設備も大変よく整っているのに。皆さん一度吹田市ホームページへお邪魔してみては。

目の作家、耳の作家。

山村暮鳥という詩人の詩に、いちめんのなのはな、という詩があり、その詩は、「いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな 〜」と、ひらかなばかりで詠われている。これは、いかにも菜の花畑に菜の花がいっぱい黄色く咲いている景色が、見えるように眼に浮かんできます。まさに目の作詞家だなあと感じます。また谷崎潤一郎さんの小説の中には、印刷面の感じを考えてかどうか解りませんが、割合にひらかながたくさん使用してあり、関西方面の言葉も多くて、目で黙って読んでも、音読しても、それなりによい小説があります。わたしはそういうふうに感じます。   さて、4日前の土曜日の朝日新聞付録Beにことばの食感、「目の作家、耳の作家」という題で、早稲田大学名誉教授の中村 明という先生が面白いことをお書きになったのが載っています。(以下私流に理解したことをかいつまんで申します、誤解があれば先生や読んで頂く方々にはすみませんが)。*吉行淳之介さんを訪ねた折、「原色の街」に登場する「魚谷」なる人物を話題しようとしたが、読みがわからぬ。「ウオタニと言うのか、ウオヤと読むのか」と問うと、「僕は目に頼る人間で、どっちのつもりで書いたのかわかんないんだ」と意外な答え。川端康成「雪国」のはじめの「国境の長いトンネル」の「国境」をどう読むのかに話が移り、「あれはどっち読んでるんか」と水を向けられた。意味からいえば「くにざかい」だが一般に「こっきょう」と読み慣わしてるようだと答えると、「あれなんかも、川端さん意識して書いたかどうか」と応じ、「耳のいい人と目に頼る人があって」と、目の作家と耳の作家という持論を展開。目に頼る川端はどう読むか考えずに「国境」と書いたという仮説を述べた。*そういえば、森 鴎外が一つの漢字も妥協しなかったのに対し、夏目漱石は宛字の多いことで有名だが、意図しない読み方をされることは我慢がならなかったらしい。これなど典型的な目の作家、耳の作家という例になるのだろう。(以上) ‖いかがですかとても面白いですね。

田植えしている。

先日、ひつじ田のことを言ったが、昨日あれから買い物に出かけ、その田の側道を通ったら半分は苗が植えてあった。帰りに同じ道を来ると、今度は耕耘機で、あ!違った、苗植機に乗って田植えをしている。あっと思う間にドンドンというか、ちょいちょいと言うか、見る間に植えて仕舞って、機械は泥を落とし拭いて貰って、操縦したお百姓さんを載せてお帰りとなった次第でございます。

サンフランシスコ平和条約発効記念日

カレンダーに書いてあるから、今日だったかい?と、思い返しているところである。あれ、そうだったかなあと、他を見てみたら出た出た、このほかに1、缶ジュース発売記念日。2、象の日。3、シニアの日。4、ニワトリの日。5、お不動明王さんの縁日(毎月)。鬼子母神さんの縁日(毎月8日・18日・28日)と、また渋谷(東京の繁華街)のなんとかやら〜と、仰山出ている。へぇーと感心した。

雑記事

快晴。昼食は配達弁当を頼む。午後、コンビニへ行き、S社の青汁代金を払い込む。同社のコンビニ向け専用のビール1パック、牛乳、ヨーグルト、食パン、ゼリー菓子などと、たまには新聞を見ようと、A紙1部買うて帰る。 米国大統領もTPPの件は思ったようにはまだゆかないので、内心はちょっと張り合い無いだろうが、日本も大事情のことたから、そうは大幅な譲途はできない。安倍首相と食べたお寿司の味はどうだったか?

風邪を引いたかなあ?

朝晩ヒヤリとするので、鼻汁がでたり、咳や、クシャミが出たり。とどのつまりに、喉や気管支が痛い。医師は遠いので行かず。銀行から固定資産税第1期分払い込む。昼間は暑い。快晴。介護の人(Iさん)来訪、5月分のケアー計画書呉れる。

花水木が美しい。

街路樹や公園に、また家庭の庭に花水木の花が綺麗に咲いている。アメリカから先頃、この樹の苗をたくさん日本にブレゼントしてくれたということを聞いた。かって日本から桜の苗を贈ったお礼だそうだ。桜はポトマック河畔に、いまも美しく咲いている。米国の人が丁寧に育ててくれたからだ。此方も大切に育てて、ハナミズキの花見が楽しめるようにならないといけないね。