続き

近代化がヨーロッパ化でなかった、たった一つの国として日本をあげている。彼の論旨はそのために日本が世界の孤児になるという方向にあるらしいが、孤児になるどころか、世界文化に貢献すべき特質を、やがて世界に示すことになるだろう。*それでは「日本人らしく生きる」ためには、どうすればよいか。そもそも日本人とはどんな人間なのか。一言でいえば、近代ヨーロッパ人が失いかけているものを、まだたくさん持っているのが日本人だ。*近代ヨーロッパでは産業革命以降の文明がどんどん発達して、彼ら自身がとまどうほどにユニークな文明が成立した。その恩恵はすばらしいが、反面、おきざりにしてきた文化があって、時としてヨーロッパ人の郷愁をかりたてる。ゴーギャンタヒチへいったのも、その一つだ。*幸いなことに、日本、広くアジアもそうだが、とくに日本には、この前近代の美しい文化が連綿として保たれている。だからハンチントンは非ヨーロッパ化の近代化だといった。ゴーギャンは日本へきても郷愁が癒されたはずである。*要するに近代ヨーロッパだけが独特の文明を持ったから、基本の文化観が他と違ってしまったが、古代・中世のヨーロッパも、どの時代のアジアも、みんな同じ文化の中にある。とくに日本がそうなのである。*この日本に保たれているものの、もっとも大切なものの一つに「自然」がある。日本人は天地自然と対話し、その叡知を尊重するから、自然に生きることとなる。*自然に生きるから、自分からゴリ押しをしない。柔らかい構造の建築物がむしろ衝撃に強いように「柔(やわら)か構造で生きる」、柳腰の人生といってもいい。しなやかに生きるのは日本人だ。*柳が風を尊重するように、相手を尊重し、相対関係の中で生きる自分を探す。物は常に相対性の中にあると日本人は考えている。まわりの者がみんなレストランに行きたがっているのに、ひとり日本料理店へ行くと主張して仲間割れするより、一緒にレストランへいって洋食を楽しむことで、心が満ち足りる。その方が自分が生きる。「生かされて、生きる」のが日本人だ。*日本人とは何かを考え、その上で日本人らしく生きることが、これからの日本の課題であろう。応用問題はいろいろある。それを皆さんで考えてほしい。‖以上で了、1997年10月9日発行、講談社