善導和尚「無常の偈」

一度に書くと入らないようだから3〜4回に分け書く。第1回目。そもそも善導和尚「無常の偈」をときたまふ御ことばにも、「人間怱々として衆務をいとなむ、年命の日夜にさることをおぼえず」とのたまへり。この文の意は、たまたまうけがたき人界に生まれ、あひがたき仏法にあひながら、後世の一大事を思いはからず。ただ明暮に怱々といそがはしく五欲名利のつとめのみを営みて年月の徒にうつりゆくことをしらず。また人命の、日夜に縮まることをもおぼえず。然るに命は風の前の燈の、いつ消えなむも計りがたきがごとし、急ぎても後世のつとめを励むべしと、ふかく戒め「言偏に戒」たまふなり。げにも人間の一生は流れにむすぶ泡のごとく、空にうかべる雲に似たり。身を顧れば、秋の木の葉の嵐をまつことにならず。命を論ずれば草の上の露の、日影にむかえるにおなじ。朝には紅顔ありて世路にほこれども、夕べには白骨となって郊原に朽つる。無常迅速の世のありさま、光陰の駒のあししばらくもとどまらず屠所の羊のあゆみ速やかにすすむに随ひて、この身の命の縮まることを観ずるに、一日すでに暮れぬれば、命もまた随ひて減ずるなり。〜以下は次に二回目につなぐ。