続き三回目。生者必滅のことはり老少不定のならひ必ず老をまつべき命

生者必滅のことはり老少不定のならひ必ず老いをまつべき命にあらず゛。古墳多くはこれ少年の人ともいへり。世の中の無常昨日もきゝ今日も見れども、わが身の上をかへりみる人は稀なり。されば古人の言にも「八万の法蔵をしるといへども後世をおそれざる人を愚者とす、たとひ一文不知の尼入道なりといへども後世をおそるゝ人を智者とす」といへり。ひとつの息かよはざれば、この世の人にあらず。かかるはかなき身ながらも、たゞ常住の思いをなして明暮れ名利に貪著し、三途の業因をつくることはあさましき次第なり。かかる無常転変の世にありて、弥陀超世の悲願にあひたてまつらずは、必定堕獄をまぬかるべからず。しかるに今、聖人の勧化によりて、一念までも漏らしたまはぬ誓願不思議の御法を聴聞して、平生往生の安心をうる人は、いつ何時無常の殺鬼到来すとも、さらに驚くことあるべからず。佛力に乗じて往生すること疑いなければ、いよいよ安堵の思いに住して、佛恩報謝の称名おこたるまじきものなり あなかしこ あなかしこ。 釈 圓遵(以上で了) 真宗高田派勤行集から引用する。

べつに信者に成れとは言っていないが、老年期なので、ついこの様な言葉に引かれるようになりました。
昨今、事故が多い。気をつけて無事を念じましょう。