浪曲の文句から大原幽学へ

玉川勝太郎であったか、あの人の18番の演じもの、平手御酒を語る浪花節の冒頭出だし【利根の川風袂に入れて 月に竿差す高瀬舟〜】て、私は名文句だと思ってる。それでこの文句を索引欄に入力しホームページを捜したら、出た出た沢山に関係ページが出て、旅行気分になったページがあり、若い時に、成田山新勝寺から潮来犬吠埼など旅行の思い出が甦った。鹿島や香取の神宮へも參詣てるのに佐倉の方へ回らなかったのは 実に残念な気がする。日本の精密な地図をあの時代に、全国歩いて回り現代から見ても少しも遜色無い精密な地図を描いた人の出た記念館なども見ないでしまった。義民と謂われている佐倉宗五郎博徒が多くいて農家の百姓から無知をいいことに着け込み金を巻き上げたり、博徒達の用心棒になつた平手御酒など、多彩な人らが住んでいた地方と感心してページを読んだ。それらのなかになんと【大原幽学】の記事があり、へぇー! 大原幽学がこの地方に居たのかなと感心した。4〜5日前に【私の好きな日本人】を読んだが、そのなかに南條範夫さんが確か(大原幽学)の事を書いて居た。だからもう一度読み直ししてみよう。ホームページを捜し読みするのも、結構面白いな。