叩けよ、然れば開かれん。また、赤穂浪士の吉良邸へ討ち入りの日。

昨日、坂村真民(さかむらしんみん)さん(故人)の「念ずればはな開く」は、いい詞と書いたが、今日は新約聖書福音書のなかに、(求めよ、さらば与えられん。叩けよ、然れば開かれん)という意味の詞が有った気がする。念ずればのほうは、静かな感じ、求めよ、叩けよのほうは積極的な感じだなあと受け止めた、東洋と西洋との宗教の受け止めかたの違いかなあ。結局は(分け登る麓の道は違えども同じ高嶺の月を観るかな)になってるのかなあ?仏教と一神教とは根本的には異なるけど。赤穂浪士吉良邸討ち入り(忠臣蔵)。赤穂浪士(大佛次郎)、吉良の男(尾崎士郎)。義士銘々伝。南部坂雪の別れ、橋の上での師匠と弟子の発句(上句下句の)やり取り場面など講談話。好きです。