狐(キツネ)の話、続き。

信州で在ったこと。知人訪問のためたんぼ道を夜の8時頃歩いて行った。知悉の道で、小川を橋で渡り右手にお稲荷さんの鳥居を見て行く一直線のコースで、月が真うしろにあった。ハナウタをうたいながら橋、お稲荷さん、そしてたんぼの道をまっすぐ行くと橋があり、右にお稲荷さんが見えてきた。ハテ、さっきわたったようだがと思いながらしばらく行くと、またまた橋、お稲荷さんときた。私は立ち止まってうしろを見たら、月はちゃんとうしろにかかっていたし、この月が前に見えたことは一度もなかった。バックして橋をわたるような芸当もやらなかった。まあいいや、もう少し行ってみようということにして、たんぼの直線道を行くと、いや、そのしつっこいたらない、また橋があるじゃないか。そして、すぐ先の右には鳥居が立っている。よし、こうなったら、意地でも先へ行ってやろう。あたりをギョロギョロ見回しながら行くと、またまた橋、鳥居をすぎ、なおもズンズン行くと、また出てきた。実際は橋が一つだけで、お社だってそんなにやたらにあったら過当競争になっちまう。だが少なくとも、もう六回や七回は同じものがあった。よく話にきくのでは、木のまわりをぐるぐるまわって、いそがしい、いそがしいと汗だくでがんばってるなどというのがあるが、ここは一直線でおまけに月という、いい方向表示物がついてるんだ。十分くらいのところなのに、もう一時間はかかっているから、いささかイヤ気か゛さしてきたので、今夜はもうやめにしょうと決めて帰ることにした。今度は左にお稲荷さんがあり、つぎに橋を渡る。月はよくさえわたっている。また、出るかと思って行くと、もうそれっきりだった。こんな非常識なことがあるかとおこりたくなったが、帰るが、行けども行けどもお稲荷さんでなくて、まあまあ、助かったと思った。私(西丸さんのこと)は残念ながら経験したことも、見たこともないが、たんぼのわきにある肥料だめに服を着たまま首までつかって、手ぬぐいで顔などブルンとやりながら、ああ、湯かげんだといって、幸福そうな顔をしている人があるという。これはキツネのしわざのなかでも、最もタチの悪いいたずらに属するようだ。(以下略)「前文にもどると、山でキツネに出会うことはめったにない。人間はおもに昼間出歩くし、彼らは夜行性なので、いつもすれちがいの生活となるからだ。ほんとにキツネのしわざかどうか、誰も知らないのでなんともいえないが違ってたらキツネにあやまる